2009年08月19日
ルドルフ2世のルビーの王冠
スイスの小領主からオーストリア王朝の
国王の家系へ、そして700年もの間、
権力の座にあったハプスブルグ家。
1600年代に王座にあったのが
この王冠の主 ルドルフ2世だったようで
すが、NHKのテレビで一度、ルドルフ2世は
戦争をして領土を広めるなど国力を上げる
活動よりも芸術や錬金術の研究などの
学芸に力をいれた国王だったと見たように
記憶しています。
写真のおでこの部分のルビーは15ctぐらい
あるのでしょうか?いや、もっと大きい様な
気もします。 このころの国王の権力を感じ
ずにはおれない王冠です。
デザインは、ローマ法王のポープがつける
帽子の形に似ていますが、ウィキペディア
辞書によると、厳格なカトリック教徒であった
ようで、それが関係しているのでしょうか?
(ウィキペディアより引用ここから)
政治的には無能だったルドルフ2世であるが、教養に富んでいたことから文化人としては優れていた。ルドルフ2世が芸術や学問を保護した結果、その下にはルーラント・サーフェリー、バルトロメウス・スプランヘル、ジュゼッペ・アルチンボルド、ハンス・フォン・アーヘン、アドリアーン・ デ・フリースといった欧州における多数の芸術家が集まり、帝国首都のプラハは文化的に大いなる繁栄を遂げたのである。ルドルフ2世自身は、特に錬金術に大いなる興味を示しており、実際に多くの錬金術師のパトロンとなっていた。また、天文学者のティコ・ブラーエやヨハネス・ケプラー、植物学者のシャルル・ド・レクリューズなどもルドルフ2世のもとに出入りしていた。
(引用終わり)
ひょっとしたらルドルフ2世は、
国王になるよりも学者さんとして生きたかった
のかも知れません。
写真は、事典『ウィキペディア(Wikipedia)
ルドルフ2世の王冠
国王の家系へ、そして700年もの間、
権力の座にあったハプスブルグ家。
1600年代に王座にあったのが
この王冠の主 ルドルフ2世だったようで
すが、NHKのテレビで一度、ルドルフ2世は
戦争をして領土を広めるなど国力を上げる
活動よりも芸術や錬金術の研究などの
学芸に力をいれた国王だったと見たように
記憶しています。
写真のおでこの部分のルビーは15ctぐらい
あるのでしょうか?いや、もっと大きい様な
気もします。 このころの国王の権力を感じ
ずにはおれない王冠です。
デザインは、ローマ法王のポープがつける
帽子の形に似ていますが、ウィキペディア
辞書によると、厳格なカトリック教徒であった
ようで、それが関係しているのでしょうか?
(ウィキペディアより引用ここから)
政治的には無能だったルドルフ2世であるが、教養に富んでいたことから文化人としては優れていた。ルドルフ2世が芸術や学問を保護した結果、その下にはルーラント・サーフェリー、バルトロメウス・スプランヘル、ジュゼッペ・アルチンボルド、ハンス・フォン・アーヘン、アドリアーン・ デ・フリースといった欧州における多数の芸術家が集まり、帝国首都のプラハは文化的に大いなる繁栄を遂げたのである。ルドルフ2世自身は、特に錬金術に大いなる興味を示しており、実際に多くの錬金術師のパトロンとなっていた。また、天文学者のティコ・ブラーエやヨハネス・ケプラー、植物学者のシャルル・ド・レクリューズなどもルドルフ2世のもとに出入りしていた。
(引用終わり)
ひょっとしたらルドルフ2世は、
国王になるよりも学者さんとして生きたかった
のかも知れません。
写真は、事典『ウィキペディア(Wikipedia)
ルドルフ2世の王冠