2009年10月25日
火焔土器に感じる人の感性
日本のジュエリーの歴史について
日本の古代を見てみようと火焔土器
を岡山県立博物館で開催されている
「Object of soil and fire」
「土と火のオブジェ」
を見てきて感じました。
この時代は、まだ農耕、稲作が
伝わる前で、狩猟、採取をして
いた頃なので、縄文人の生活は、
耕して、種をまいて、育てて、
収穫して。。という計画性が
なく、自然の恵みを拾って食べ、
獲物を探した時代です。
自分たちの命は自然に
大きく影響されていることを
自覚していたのでしょう。
明日は、食べ物が無くなるかも
知れないという不安と今日は
食べられたという安堵感の中で
生活をしていたはずです。
田んぼ(保険のようなもの)が
無いわけですから。。。
だから「祈った」と思うのです。
その時の人の感性が火焔土器の
ような形、造形美を生んだの
でしょう。
12000年前から2400年前までの
約1万年を生き抜いた日本人の
祖先、縄文人が残してくれた
火焔土器は、今は弱くなった
自然に祈るという気持ちを
思い出させてくれます。
古代エジプトのピラミッドが
できる1000年も前の話です。
ジュエリーデザインは祈る
ような人の気持ちがベースに
あるのかも知れません。
写真は、展覧会のパンフレットの
火焔土器(新潟県で発掘)です。

日本の古代を見てみようと火焔土器
を岡山県立博物館で開催されている
「Object of soil and fire」
「土と火のオブジェ」
を見てきて感じました。
この時代は、まだ農耕、稲作が
伝わる前で、狩猟、採取をして
いた頃なので、縄文人の生活は、
耕して、種をまいて、育てて、
収穫して。。という計画性が
なく、自然の恵みを拾って食べ、
獲物を探した時代です。
自分たちの命は自然に
大きく影響されていることを
自覚していたのでしょう。
明日は、食べ物が無くなるかも
知れないという不安と今日は
食べられたという安堵感の中で
生活をしていたはずです。
田んぼ(保険のようなもの)が
無いわけですから。。。
だから「祈った」と思うのです。
その時の人の感性が火焔土器の
ような形、造形美を生んだの
でしょう。
12000年前から2400年前までの
約1万年を生き抜いた日本人の
祖先、縄文人が残してくれた
火焔土器は、今は弱くなった
自然に祈るという気持ちを
思い出させてくれます。
古代エジプトのピラミッドが
できる1000年も前の話です。
ジュエリーデザインは祈る
ような人の気持ちがベースに
あるのかも知れません。
写真は、展覧会のパンフレットの
火焔土器(新潟県で発掘)です。

Posted by 森 孝仁 at 06:01│Comments(0)
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