2009年11月02日
デザインの話
先日ご紹介した、「Pen Book」
「茶の湯デザイン」(木村宗慎氏監修)
で気づきを頂いた部分があります。
引用ここから)
「茶の湯デザインの原理」とは何か、
甚だ勝手な理屈を並べて検証してみたい。
“モノ”は、それのみで存在する訳では
ない。何であれ役割を果たす「場」を
備えている。言い換えれば、常に状況と
しての「場」に縛られ、かつまた「場」
によって生かされもする。では、「場」
が「モノ」を生むのか?「モノ」が「場」
を生むのか?(中略)
大切なのは、場だけ、モノだけではなく、
その両者の存在を居場所にして、あらゆ
る行為を行う「人」である。
(引用ここまで)
茶の湯デザインのこの一冊は本当に
たくさんの学びがあり、気づきがあり
ます。
後発の日本のジュエリーデザインは、
西洋のモノ形を追いかけて進化して
来たと思いますが、次の一歩が中々
出てこないのは、この一文に出てくる
「行為を行う人」が見えてこないから
かも知れません。
西洋のジュエリーが発達した時代に
はそれをお召しになって人前に出た
貴族なりの「人」の存在がありました。
そこから生まれたインスピレーション
が西洋のデザインを進化させてのでは
ないかと感じました。
「いまこそ知りたい日本の伝統美」
とは、この本のサブタイトルですが、
全くその通りです。

「茶の湯デザイン」(木村宗慎氏監修)
で気づきを頂いた部分があります。
引用ここから)
「茶の湯デザインの原理」とは何か、
甚だ勝手な理屈を並べて検証してみたい。
“モノ”は、それのみで存在する訳では
ない。何であれ役割を果たす「場」を
備えている。言い換えれば、常に状況と
しての「場」に縛られ、かつまた「場」
によって生かされもする。では、「場」
が「モノ」を生むのか?「モノ」が「場」
を生むのか?(中略)
大切なのは、場だけ、モノだけではなく、
その両者の存在を居場所にして、あらゆ
る行為を行う「人」である。
(引用ここまで)
茶の湯デザインのこの一冊は本当に
たくさんの学びがあり、気づきがあり
ます。
後発の日本のジュエリーデザインは、
西洋のモノ形を追いかけて進化して
来たと思いますが、次の一歩が中々
出てこないのは、この一文に出てくる
「行為を行う人」が見えてこないから
かも知れません。
西洋のジュエリーが発達した時代に
はそれをお召しになって人前に出た
貴族なりの「人」の存在がありました。
そこから生まれたインスピレーション
が西洋のデザインを進化させてのでは
ないかと感じました。
「いまこそ知りたい日本の伝統美」
とは、この本のサブタイトルですが、
全くその通りです。

Posted by 森 孝仁 at 06:58│Comments(0)
│今日の出来事