ルビーを磨いているのか?ルビーに磨かれているのか?
只今、香港ですが、今朝フッと自分のルビーを見ていると
「サッ今日も張り切っていきましょうね」と語りかけて
くれているような気がしました。
初めて着けた日から、何も変わらないこのルビーのお陰で、
経った時間を感じることができます。
私が、宝物にしているリングについているルビーは、
ミャンマー北部カチン州のナヤン鉱山のザッポーから
でてきたカットも研磨もしていないルビーです。
まだ結晶は美しいのですが、カットも研磨もして
いないので、商品価値があるかどうかは分かりませんが、
私には、三角の矢印にみえる結晶の形が、
「前を向いていきましょう」と勇気づけてくれるような気が
して精神的価値はもの凄く高いのです。
私はこのルビーを転売するするつもりもありませんし、
いつか、私のファイトした証として息子が持つと思うので
商品価値があるかないか。。などどうでも良いのですが。
私が持つルビーのように世界にひとつ、ただカット研磨しないと
商品として価値があるのか無いのか?分からないものもあります。
価値観という形のないものが、形のあるルビーに出会い「具体的」に
なっていくのを感じると、なんとなく人々が、何万年もの間、「宝の石」
として大切にしてきた気持ちを感じることができます。
私たちモリスはヤンゴンの工房でルビーを研磨していますが、
ルビーを磨いているつもりで、実はルビーに磨いてもらっているのかも
知れません。
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